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マイストーリー

生きていれば、予期せぬ大波小波が押し寄せます。

私にも いろんなことが起きました。

愛情いっぱい 恵まれた家庭に生まれてきたのですが、

17歳の時、突然の父親の自死・幼い娘の手術・阪神大震災

思春期に荒れた娘たち・わちゃわちゃな離婚

家業の負債37億の処理・母の突然死・躁うつ病の発症

起業してからも 大小様々なハプニングが起こりました。


運の強い私に押し寄せてくる波は やはりビッグなのです。

だから 少々のことでは動揺しません。


誰しも 波はよけたい でも大波が来たら どうしますか?

自分がテトラポットになって、波を砕きながら受け止めるしか無いのです。


思い返せば 子供のときから 自由時間のほとんどを友人の悩み相談に費やしてきました。

最初の悩み相談は 小学校二年生の時です。

転校生と仲良くなり、打ち明けられたこと

「私のお母さん、ままはは なの」

「ままはは?」

「本当のお母さんじゃないの」


中学からは 恋愛相談や部活のことなど リビングから廊下に家電を持っていき 二時間以上話し込み 母親に怒られたり 電話をプチっと切られたり(笑)

大人になってからも なぜか重い話しを聴く役目だったような気がします。


働く女性の愚痴や思いを受け止めてきた

離婚して フルタイムで働くことになりました。

家業は 家庭用品の製造卸業で ブランド名 CHIKO FORTE 

全国のデパートで販売していました。

私の役目は デパートを回って販売員の教育・・といえば聞こえはいいですが、女性販売員の愚痴や意見を聞きながら、”やる気スイッチ”に火を付けることでした。


48歳で起業

そんな中 社長である母が レンタルオフィスを ビルの空きスペースに作るということで 私が責任者になることに社内起業みたいなものですね。起業が認知されてない2003年に起業長屋(レンタルオフィス)を始めました。施設のお母さん的存在という意味で「女将(おかみ)」と呼ばれています


女将として経営者を見守り続ける

その後 芦屋川沿いの洋館を活用し、貸しスペースCHIKOサロンを開設。

家業が人手に渡り、CHIKOあきんどは閉館しましたが、タイミングよくシェアオフィス アルファオフィス247の運営を任されてました。このシェアオフィスも2022年末にコロナ禍の影響を受けて閉館したことをきっかけに

リタイヤしようと思いましたが、講演やコメンテーターなどを引き受けるうちに、引き続き 起業相談や人生相談にのってます。


双極性障害のベテラン

起業家のための長屋、CHIKOあきんど本町を知ってもらうために、東京にも視察や人に会うために出掛けました。


時間とお金が勿体ないから 夜行バスで。

そして 夜な夜な 交流会や勉強会、飲み会に参加。


少々 がんばり過ぎました。

突然 動けなくなりました。

それも気力がゼロになる。。


でも しばらくすると 俄然 元気になるのです。

以前より増して動く…

また 動けなくなる。

双極性障害 躁うつ病でした。


本人 頑張りすぎるという意識はありません。

寝なくても平気、いくらでも動けるのです。

それが 躁状態。


振り戻しが ウツ状態。

振り子のように 躁になり鬱になりを繰り返す病気が躁うつ病(双極性障害)です。


今も完治しているわけではありませんが、躁ウツの振り幅をコントロール出来るようになりました。


このような経験を重ねてきたので、精神疾患のことも 話しを聞けます。

家族や仕事仲間が精神疾患になった場合の対処の仕方もアドバイス出来ます。


どこにも相談できずに一人で抱えておられたら、話してみませんか。


人生を面白がりたい

2500人以上の起業家と出会い、見守り、支えてきました。

世界的に活躍している同志たち、草の根活動を続ける同志たち人との繋がりが 私の宝です。


文化的な活動では芦屋美術館の元理事 や 能楽の広報 音楽イベントの応援をしています。

クラシックオーケストラの興業を買い取って、S席15000円と高額でしたが、大阪シンフォニーホール1800席を満員にしたことがあります。

女性同士が緩く繋がる「紅組さん」を運営し、仕事や家族の悩みを相談したり、一緒に遊びに行く仲間づくりに繋げています。


人生を楽しむではなく面白がる。

【お茶目で無邪気なファンキー婆さん】でありたい。

【美しく熟成 いずれ潔く この世から昇華】することを目指しています。